●回想2-破局の理由(2)
神社や大きな公園のある、閑静なところに、明城先輩の家はあった。
途中、いろいろと先輩と話した気がするけど、あまりおぼえていない。あれから、ずっと、夢のなかにいるみたいだった。
ただ、なぜ先輩が親元をはなれ、ひとりで暮らしているのか。それについては聞けなかった。
「ここです」
「あ、ここが……」
家は見えなかった。
白い塀と、2mは優に超える大きな観音開きの扉が目の前にあった。
さっきから、ずっと白い塀にそって歩いてきたけど、それがぜんぶ、先輩の敷地を区切るものだったのかと、いま気がついた。
「……」
こんな、広大な土地に先輩は、たったひとりで……。
胸が、ずきん、とした。
ちら、と先輩の横顔を見た。先輩は、鞄を手前にもって、すらりと立っていた。重厚な扉の横に、ちょこんとあるインターホンを押す様子はなかった。
「?」
どうやって、中に入るんだろう。まさか、鍵で開けるわけはないだろうし。
車もほとんど通らないので、あたりは深閑としていた。
と、どこからか、ジー、と小さく音がした。
先輩が顔を上に向けていた。つられて見ると、ちょっと手の届かないような高さに、監視カメラがあった。
ギギギ……
とつぜん、機械的な音がして、扉が奥へと開きだした。
「カメラで監視しているんですか?」
「はい。鍵をつけるよりも、安全で手軽ですから」
たしかに、顔パスはセキュリティ的にはもっとも合理的なのかもしれないけど、維持にはかなりの手間と費用がかかりそうだ。まあ、これは庶民の感覚なんだろう。
「さあ、参りましょう」
ぎゅ、と先輩が手をにぎってきた。……やわらかい。手をひかれるようにして、歩きだした。
ぼくたちの前には、うっそうと茂った林があった。
ギギギ……
うしろの扉が閉まった。
慣れた日常の光景から、完全に隔離されたような。そんな気がした。
ぼくが屋根裏にいる3つの理由 【3】
住み慣れた街から切り離されて、どこか遠い山のなかにいるみたいだった。日ざしはまだ高かったけど、背の高い木々にさえぎられ、あたりはうす暗かった。ちょっと不気味だったけど、すこしひんやりとした先輩の手の感触に、また頭のなかが桃色になっていった。
ちょっとした散歩道ぐらいの距離を歩くと、木のあいだから、二階建てのアパートのような建物が見えた。木造の、洒落た佇まいの家だった。
「あれが……」
先輩の家ですか?
と聞こうとしたら、
「ええ。さきほどのカメラをモニターしている、離れですわ」
「……はぁ。“離れ”、ですか?」
「ひとり暮らし、といっても最近は物騒ですし。5人ほど、住みこみで働いてもらっています。ふだんは、あの離れで詰めてもらっているんです」
庶民のぼくには、想像もできない暮らしだ。
あらためて、先輩といっしょに手をつないでいることが、夢のように思えた。
また、林のような庭を、先輩と手に手をとって歩く。“林のような”ではなく、林を塀で囲って、なかに家を建てたというのが正しいのかもしれない。
「ほら。見えてきました。
あれが、私の家です」
細長く整った指の先に、さっきの“離れ”の三倍はある、瀟洒なレンガ造りの洋館が見えた。
「す、すごい家ですね。なんか、ゾンビとか出てきそうな……」
「ゾンビ?」
「あ。いえ、忘れて下さい。妄言です」
「はあ」
不思議そうな顔をしながら、先輩は大きな扉に手をかけると、音もなく開いた。
長い長い塀でかこまれた林や屋敷は、明城先輩だけの世界なのだろう。扉には鍵などかける必要もないようだ。
「少々、お待ちくださいね。いま、内履きをお出しします」
玄関……といっていいんだろうか、そこはぼくの感覚からしたら大広間だった。
「あ、どうも、ありがとうございます」
さっきから圧倒されっぱなしで、しどろもどろにお礼を云った。
玄関を抜けると、そこは観光地で開放されている洋館のように、非日常的な光景が広がっていた。
木材がふんだんに使われた内装は、派手すぎず、おちついた感じを醸し出していた。床には絨毯がしきつめられていて、足音がまったくしないほど、ふかふかしている。
長い廊下を曲がると、またそこには広々とした空間が現れる。光源のはっきりとしない薄明かりに、壁紙やチェストがぼんやりと照らしだされていた。薄いレースのかかった窓外には、木々が秋風にしずかに揺れているのが見えた。
静謐とした、広大な空間。
となりで歩いている先輩が手をはなしてしまったら、二度と帰れないような気がして、ぎゅっ、とすこし強く握りかえした。
「……」
迷宮のような、レンガの屋敷のなか、明城先輩はひとりで暮らしているんだ。
胸が、ちくり、とした。
と、先輩の足がひとつの扉のまえで止まった。
「ここが、応接室です。
ふふ、お客様をお通しするのは、ひさしぶりです」
「こ、光栄です」
また、映画のなかにしかでてこないような、豪奢な部屋に通された。美術館でもないのに、油絵や彫像が飾られている。
ふわ、とソファに身体が沈んだ。よほど、座りごこちがよくできているらしく、ほとんど反発がなかった。
「では、私はお茶を入れてまいりますわ」
「え? そんな、先輩。お気づかいなく。ぜんぜん、平気ですって」
「ふふっ。あまり、おまたせしませんから」
微笑みながら先輩は部屋を出ていった。
ぽつん、とソファのまんなかで、ひとり縮こまった。天井が高いせいなのか、空間が広く感じられ、どうも落ち着かなかった。
もぞもぞと身じろぎをして、制服のズボンを探った。学校からそのまま来たので、ぼくも先輩も、制服のままだった。
ポケットを探りながら、かすかにかすれた声でつぶやいた。
「お、“お泊り”って、いったよね?
たしかに、先輩、いったよね」
ひとりになって、急に緊張してきた。
いったん家によって、シャワーあびて着替えてくればよかったな。ていうか、一応、親にも泊まりの連絡しないと。いや、それよりまず先輩に確認して。でも、キス……しちゃったてことは、先輩はもうとっくにその気で。“その気”ってのはつまり……。
さっきの夢見心地とは違い、こんどは頭のなかがごちゃごちゃとして思考がまとまらなくなった。
財布をとりだして、中をあらためた。
「い、一週間前に買ったばっかりだし。使えるはず、だけど」
心臓がばくばくいっていた。汗もにじみだしてきた。
ぼくの財布のなかには、月並みで申し訳ないけど、「アレ」が入っていた。薬局やコンビニで買う勇気はなく、隣町のさびの浮いた自動販売機で買った、「アレ」。薄っぺらくて、フィット感のあるやつ。
……“先輩が本気でないなら、自分から身をひこう”。どの口で云ったんだ、とつっこまれるとつらいけど、まあ、そういう年頃だということで。
まわりからいくら“女みたいな顔してるね”とかいわれても、心と身体は健全な青少年であるぼく。先輩と晴れて付き合いだしてから、まえにも増して、夜中にモンモンとすることが多くなった。それも、おそれ多くも、先輩との妄想ばかり。いや、恋人どうしなんだから、当然なんだけど。でも、先輩はまぎれもないお嬢様だし、いまだに高嶺に咲く花のように想っているし……。
「……ごくっ」
「アレ」を手にとると、自然にのどが鳴った。
そして、あわてて財布のなかにもどした。先輩が戻ってきたら、大変だ。廊下は絨毯が敷かれて、足音が吸収される。
しばらくすると、扉が開いた。
「お待たせいたしました」
両手にティーセットをかかえた先輩が入ってきた。
手伝いましょう、などと気の利いたことを云うような余裕もなく、かちんこちんに固まって、先輩のサーブを受けた。
「略式で申し訳ありませんけど、どうぞ」
「ありがとう、ございます」
すすめられるがままに、ティーカップに口をつけた。上品な紅茶の風味が口中にひろがったが、じつのところ、あまり味はわからなかった。
それから、しばらく会話を交わした。
学校のことや、ぼくの家の話。本当になんでもないこと。緊張をほぐそうと、いつも以上に口数が多くなっていた。
「……」
「……」
ふと、会話が止まった。
きっかけはなかったけど、急に、本当に二人きりだと、思ったせいかもしれない。
この大きな家のなか、たった二人きり。
先輩も、こころなしか、身をこわばらせていた。
うう、気まずい。
なにか、云わないと。
『あ、あのっ』
声がハモった。
「あ、相原さんから、どうぞ」
「いえいえ、先輩のほうから」
おろおろとするぼくたち。
「では、その、ひとつ……相原さんに、告白したいことが、あるんです」
いつにない、厳しい表情の先輩だった。
「な、なんでしょう?」
思わず一歩身を引いてしまった。
「相原さんは、私と、一夜を共にしたいと……思ってらっしゃいますか?」
「はい思ってます」
……。
先輩、いま何ておっしゃいました?
ていうか、ぼくも思わず即答をしてしまったような……。
「あのっ?! せんぱいっ、い、いいい、いまっ」
「相原さん」
ふわ……
キョドりまくるぼくのよこに、流れるように先輩が腰を下ろした。
ほのかな熱と香りが、五感を刺激した。
「せ、んぱい?」
肩に、重み。
先輩が、しなだれかかっていた。
長い漆黒の髪がからみつくくらい、密着していた。先輩のおおきな胸が、腕に当たっていた。耳元に息がかかるほど、唇が近くにあった。
さっきキスをされた首筋が、きゅうにムズムズとくすぐったく、熱っぽくなってきた。
「私は、相原さんと、ひとつになりたいと――思っています」
「っ!」
早鐘のように鳴りつづけていた心臓が、ひときわ大きく跳ねた。
「せ先輩ぃぃっ!」
がばっ!
たまらずに、明城先輩を抱きしめてしまった。
ぎゅぅ、と先輩も包みこむように、抱きかえしてきた。そしてぼくを、そのやわらかく起伏に富んだ肢体に、埋めてしまった。
「んん……っ」
熱が、匂いが、鼓動が、直に身体にしみてくるような陶酔感。
視覚。嗅覚。触覚。聴覚。味覚。ぜんぶの感覚が、明城先輩でいっぱいだった。
「でも、私は、ひとつ。隠し事があるんです」
「ふぁい……」
メロンのような乳房に顔を抱えこまれて、うまく返事ができなかった。
「ちいさい頃からずっと、家族のもの以外には秘密にしてきました。
相原さんにだけは、私の、呪われた身体の秘密を……お見せしたいと、思います」
「……」
“呪われた”……“身体の秘密”?
す……っ
先輩の身体が、はなれた。やわらかい縛めから解放されると、新鮮な空気が、鼻腔にのこった甘い残り香を散らしていった。
「相原さん。
真実を知っても、私を愛していただけますか?」
ぼくのまえに立ち、見下ろすような格好になって、云った。
「はい……」
真実もなにも、まったく話が見えなかった。
しかし、自然と答えを口にしてしまっていた。
「ふふっ」
先輩は真剣な表情をくずして、かすかに笑みを見せて、
「ええ。
わかっていました。
相原さんが、私を受け入れてくださることは、わかっていました」
ひとりごとのように、しかし断定するような調子で、くりかえした。
甘く痺れていたぼくの頭のなかで、ちくりと、妙な違和感がよぎった。
しかし、それも一瞬のこと。
なにを思ったのか、すっ、と優雅な動作で先輩がスカートをつまんだ。ぼくはまた、全身が痺れたようになって、スカートに目が釘づけになってしまっていた。
すすす……
制服のスカートが、明城先輩のすべすべとした肌のうえを、すべっていった。
「あ……あ」
美しくひきしまった太ももがあらわになっていくのを、まばたきすらできずに見つめていた。
丈の短い生地はあっさりとめくりあがって、下から純白の下着がちらりとのぞいた。
そこで、先輩の手が止まった。
「相原さん……目をそらさないで、くださいね」
云われるまでもなく、呼吸が止まってしまうほど、ぼくは一点を見続けていた。
ふぁさ……っ
先輩が、一気に、秘密のベールをめくりあげた。
「……。
……?
え?」
明城先輩は、スカートの前を両手でつまんで、立っていた。
ちょうどぼくの目の前に、見せつけるようにして、先輩のショーツがあった。真っ白で、シンプルだけど高貴な雰囲気をもったデザイン。
やわらかそうなお尻、きゅっとした太もも。
男ならばだれでも、目を奪われてしまうだろう。
たしかにぼくも、呆けるように見とれていた。けど、ある徹底的な違和感があった。
あまりにも異様で、一瞬、なにかわからなかった。
肉感的な肢体をおさめるにはあまりにも小さく見えるショーツの上部から、肉の棒が、はみだしていた。
「え? こ、これって……」
それは、あまりにも女性的なラインの肢体には、とてつもなく不釣り合いなほど、グロテスクなフォルムをしていた。
ペットボトル大の肉棒に、血管が浮きあがり、ドクンドクンとちいさく脈打っていた。
「これが、私の、秘密です。
生まれつき、男と女、ふたつの性を身に宿しているんです」
「ふたつの、性」
バカみたいに、先輩の言葉を、くりかえした。
半陰陽。ふたなり。ミドルセックス。
あまりにも、ぼくの常識から離れていた。
純白のショーツから、にょっきりと生えた肉塊は、たしかにペニスだった。すでに、なかば勃起しているようだった。反りかえって、亀頭がスカートの裏地に触れていた。
「私の身体は……醜い、ですか?」
「……」
明城先輩のペニスは、優に30センチは超えている巨根だった。ぼくの、2倍はあるだろう。ぎちぎちにエラが張っている様は、男性よりも男性的だった。大和撫子な先輩の股間から生えているため、よけいに強調されている。
しばらく、だまって凝視していたが、
「いえ……。明城先輩は、やっぱり、明城先輩です」
かすかに震える声で云った。
こんなことくらいで……こんなことくらいで、明城先輩を捨てるわけがない。
「たしかに、ちょっと、びっくりしましたけど……。
でもっ、明城先輩がぼくにとって、最高の先輩で、最高の女性で……恋人だってことは、ぜんぜんっ、かわりませんからっ!」
先輩の目を見つめて、断言した。
「……」
はらり。スカートをつまんでいた手から力がぬけた。
「ありがとう、ございます」
すこし潤んだ目をしていた。
「もし、相原さんに拒まれたら……。
私、早まったことを……してしまっていたかも、しれませんわ」
ぽつりと、先輩がつぶやいた。
「怖いことをいわないでくださいよ。
ぼくは先輩のことを拒んだりはしません」
もしぼくが、おなじ肉体上の問題を抱えていて、先輩に拒絶されたら、自殺すら考えるかもしれない。想像すると、恐ろしかった。
「嬉しい……嬉しい……。
あの、相原さん」
ぽっ、と頬を染めて先輩は、
「あの、触って、いただけませんか?」
……。
「え」
思わずまぬけな声をあげた。
恥ずかしそうに、先輩は続けた。
「あ、あの、相原さんは、自涜……をなさりますか?」
じとく。
どうにも、あまり耳慣れない言葉だが、なんか、意味はわかる。
「えっと、つまり、まあ自分で、自分を慰めることは……ないことも、ないですけど」
なにをいっているんだ、ぼくは。
一時間前なら、とてもじゃないが、明城先輩のまえでは口に出せなかったようなことを、つい云ってしまった。
「それで……週に、何度ほど?」
ちょっと先輩っ?!
「え。あの、週に二回くらい、です」
嘘です。
毎晩、明城先輩で妄想してました。
「まあ……。
私は、うう……恥ずかしいのですけれど、毎日、なんです」
「へ、へーそうなんですか」
うなずくしかなかった。
「学校や、公の場所では取り繕ってはいますが……本当の私は、肉欲に流されやすいはしたない女……いえ、女ですらない、異形です」
ふっ、と先輩はちいさく息を吐いた。
「こんな私を、家族は、世間から隠したがっているようでした」
「……」
うなずくことも、できなくなった。
「だから私は、信用できる何人かの者とともに、ここで一人暮らしをしています。
公の場では……明城家の長女だということで、幸いなことに、いろいろと便宜を図っていただいてまいりました。
体育の着替えなどのときも、特別に、個室を用意してもらっています」
「それは、聞いたことが、あります」
さすが、お嬢さまはちがうなぁ。
噂話で聞いたときは、そう思ったけど……。
「はい。でも、私の……男の部分は生まれつき敏感に出来ているようでして……。
ふと気を緩めると、反応してしまいますので……人前に出るときは、事前に自涜をするように、しているんです。そうしないと、気づかれてしまいますから」
「先輩……」
「相原さん。
今まで隠してきましたけれど……あなたを見ていると、どうしても、抑えきれなくなるんです。
恥ずかしいことですけれど、いまも……」
スカートのうえからもわかるほど、先輩の一物は天にむかって勃起していて、かすかにピクピクうごいている。
「私は私だ、とおっしゃって頂いて……心が温かくなりました。
ですけれど……それと同じくらい、汚らわしい欲望も感じて……」
ふっ、と先輩がまぶたを閉じた。
「……わかりました」
ぼくは、決意をこめた声で、云った。
「え」
「ぼくは、先輩の恋人ですから。
明城先輩を愛してますから……先輩が望むなら、なんでもしますっ」
「相原さん……」
先輩が口元をおさえた。感極まったような目をしていた。
ぼくは、あるだけの気持ちをこめて、見つめ返した。
……もし、このとき明城先輩の手をのけてみたら、下からどんな表情が現われていたのだろうか。
おそらく、歓喜、だったのだろう。
欲しくてたまらなかったものを手にした子供のような、残酷なまでに純粋な、笑顔があったに違いない。
……このとき、ぼくはもう、過酷な運命にがんじがらめにされていたのだろう。
と、いまでは、思う。